古代出雲王国考: ヲロチ退治の呪術

【プロローグ】

歴史観は、一〇〇人いれば一〇〇通りある。わが国の古代史は、おもに近畿(畿内)や北部九州へ焦点をあてて語られてきた。では、出雲在住のジャーナリストとして、山陰の出雲をおもな舞台とする神話や古代史を探究したら何がみえるか。物的証拠と論理でチャレンジする。

 

日本神話のヤマタノヲロチ退治では、スサノヲが巨大なモンスターであるヲロチを倒し、その尾からあめのむらくものつるぎ草薙くさなぎのつるぎ)を取り出す。それが、のちに天皇家の三種の神器じんぎのひとつとなり、現代に至るとされる。

だが、この神話には、一般に知られる物語のうらに、呪術にまつわる重大な秘密が込められていた。それを明らかにするカギは、大和(奈良県)の神社に現存し奉斎ほうさいされている古代の神剣にある。

その神剣の来歴をさぐっていくと、もうひとつの有名な神話、オオクニヌシの国譲りがからんでいる。

:ヲロチ退治とは、いったい何だったのか。

日本人は、八世紀初頭に『古事記』と『日本書紀』で創り上げられた壮大な神話に呪縛され、洗脳の一種であるマインド・コントロールをされてきた。氣づかないうちにおこなわれる心理操作だ。俗に、刷り込みとも言う。

しかし、その自覚はない。古今東西、建国神話とはそんなもの、と言えばそれまでだが・・・・・・。

いっぽう、ヲロチ退治の舞台となった出雲(島根県東部)では、いまも不思議な風習がつづく。旧暦一〇月を、全国的には神無月かんなづきと呼ぶが、出雲にかぎっては神在月かみありつきと呼ぶ。

八百万やおよろずの神々が全国各地から出雲に集まり、さまざまな神事が催される。天候が荒れる季節にもかかわらず、遠方からもご利益りやくをもとめたくさんの参拝客が訪れる。

一般に、神無月は「神のいない月」と受けとめられている。だが、学術的には「神の月」の意という。われわれは、神無月と神在月の意味について、根本的な誤解をしてきた。あるいは、誤解させられてきた。

:神の月とは、いったい何なのか。

知られざることながら、これもヲロチ退治と深いかかわりがあると思われる。

本書では、呪術と祟りがキーワードとなる。日本はいにしえから呪術の国であり、令和のいまも、天皇家や神社などでは呪術が受けつがれている。そして、呪術は祟りと深いつながりがある。

『古事記』の神代かみよ篇では、出雲神話が四三パーセント(三浦佑之すけゆき氏)も占めながら、かつて、出雲が注目を浴びることはなかった。しかし、一九八〇年代半ばから、出雲の地で考古学上の大発見が相次いだ。

とくに、荒神こうじんだに遺跡から出てきた銅剣三五八本、加茂かも岩倉いわくら遺跡からの銅鐸どうたく三九個という数字はケタはずれだった。出雲大社の境内では、巨大高層神殿の実在をうかがわせる柱も発掘された。

神話の世界だけではなく、古代の出雲にはやはり大きな勢力があった。そういう見方が、古代史ファンにかぎらず、専門家のあいだでも広まった。

それを、本書では、萌芽期をふくめ古代出雲王国と呼ぶことにする。じつは、ヲロチ退治や神無月・神在月の本当の意味は、この王国の栄枯盛衰をたどらなければわからないと思う。

:古代出雲王国は、いつごろ誕生し、いつ終焉しゅうえんを迎えたのか。

それは中央集権ではなくネットワーク型だったとみられる。出雲を本拠地とし、山陰や北陸をはじめ近畿、中四国、九州、関東にも勢力圏・影響圏を広げていた。とくに、東北地方とも、深いつながりがあった。

:古代の出雲にとって、東北とは何だったのか。

それらの謎を解くには、『古事記』『日本書紀』つまり『記・紀』や『出雲いずものくに風土記ふどき』など古代文献の分析に加え、考古学や遺伝学、国語学、心理学など学際的なアプローチも欠かせないと思う。本書では、そうした観点も取り入れる。

日本という名の国家が誕生する前後、列島で何があったか。

この本を読み進めれば、マインド・コントロールはおのずと解けるはずだ。

 

日本神話にあるエピソードや歴史上の事象などは、ざっくり3つに分けて語ることにする。

カテゴリーa史実の可能性が高いもの 
カテゴリーb史実とは言い切れないもの
カテゴリーc創作されたもの

近い将来、ここで論証する仮説が、日本人の常識となっているかもしれない。

(注:本書は古代史ノンフィクション推理作品であり、登場する人物、団体などはすべて実在するものです。ただし、神々は「?」です。
推理小説や推理ドラマは、読者や視聴者の視点からふたつに大別できます。
A型:犯人(結論)が最後のほうまでわからない作品
B型:犯人(結論)があらかじめわかっていて、アリバイを崩し証拠と論理で追い詰めていく作品
『刑事コロンボ』『警部補・古畑任三郎』などはB型です。本書の構成は変則的なB型です。それが創作ではなくノンフィクションで、しかも、神話と古代史を題材とするところがポイントです。
本文の傍線や太字は筆者により、写真もただし書きがないものは筆者の撮影です)