はしがき――〈思考の自由〉
先の大戦後、日本を占領したGHQはわれわれを計画的に洗脳し、その呪縛は現在もつづいている。一番の問題は、そうした事実が1980年代から一部で指摘されていながら、それを解く方法を日本人のだれも考えようとしなかったことだ。
罪悪感の刷り込みなどGHQによる心理操作は、日本社会の深部に歪んだ形で作用し、さまざまな症状をもたらした。最悪の例が朝日新聞や進歩的文化人だった。
凄腕の精神科医と呼ばれ作家でもある春日武彦は、『天声人語』などを「グロテスクになった」とし、捏造をふくむ虚報を重ねる朝日にはパーソナリティー障害と共通したものがあるのではないかとみる。「ある種の愉快犯的動機、あるいは自作自演で世界を煽り操る。コントロール願望による全能感の満足と自己肯定のためにやっているのでは」
心理学者で歴史精神分析の泰斗である岸田秀は、こう指摘する。「朝日は、(自らの)戦争責任というその観念を抑圧し無意識に追いやった。進歩的文化人もおなじだった。その責任を軍部に押しつけて自分たちは正義であると。戦前をすべて否認することによって現在の自分は清らかになる、と彼らは主観的には思うわけです。その結果、誤報や捏造、その擁護などさまざまな症状が出ているのではないでしょうか」
朝日には、政治家としての安倍晋三をフェアに評価するなどまっとうな記者も一部にいる。だが、事実を伝えるべき報道機関としては、致命的な体質をもつ(未知の典型例として本書[第Ⅴ章 1 9条記事を組織的に捏造・隠蔽]を参照)。
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戦後七十余年の戦後史は、歴史学や政治学、ジャーナリズムなどからアプローチされてきたが、決定的に欠けていたものがあった。
かつて筆者が、ドイツの「心の戦後処理」について取材するため、東京からヨーロッパ3か国に長期出張したときのことだ。あるドイツ人の歴史家から、こんな言葉を聞いた。
「これは集団心理学や精神分析であつかうべき問題でもあります」「一部の人たちが心理学での歴史研究に目を向けはじめたのは、ほんの2、3年前です」
安倍は第1次政権発足前に上梓した『美しい国へ』で、日本とおなじく大戦の敗戦国として何かと対比される旧西ドイツが、相当の軍事費をかけて再武装しながらも経済発展をとげたことを指摘し、こう述べた。
「ひるがえって日本の戦後はどうだったろうか。安全保障を他国に任せ、経済を優先させることで、わたしたちは物質的にはたしかに大きなものを得た。だが精神的には失ったものも、大きかったのではないか。
日本では、安全保障について考えることは、すなわち軍国主義であり、国家はいかにあるべきかを考えることは、国家主義だと否定的にとらえられたのである。それほど戦前的なものへの反発は強く、当時の日本人の行動や心理は屈折し、狭くなっていった」
ここですでに、「精神的に失ったもの」「屈折した行動や心理」について語られている。
たとえば、護憲派だ。北朝鮮は核搭載可能ミサイル「ノドン」を日本に向けてすでに実戦配備しているとの見方があり、「水爆」実験も強行した。中国は尖閣諸島どころか沖縄にまで野心をみせ、軍拡路線を鮮明にしている。そういう国難の時代に、防衛のあり方を議論するのではなく、戦力をもたないとした憲法に手をつけるなと主張しつづけること自体、どこかおかしいのではないか。それをアブノーマルだと自覚してこなかったのが、戦後の日本だった。
ドイツ人歴史家の言葉を参考にして、戦後日本のこじれた問題、安倍の言う「屈折した行動や心理」をどうとらえ、どう解決すればいいか、筆者は心理学や精神分析、精神医学の日本人専門家に詳しく取材し、多くの参考文献にあたった。ヨーロッパと日本で得た知見をメスとして戦後を斬ると、日本社会の欺瞞および病理の輪郭がくっきりと浮かび上がった。
GHQが日本人に大がかりな心理操作、心理学で言うマインド・コントロールをこっそり実践したのには、わが国を非軍事化し民主化するだけでなく、アメリカを正当化するねらいが隠されていた。
日本人の脳裏に戦争をおこなった罪悪感を植えつけ、原爆投下などアメリカの罪と責任を相殺する考えを無意識のうちに抱かせるべく、ありとあらゆる方法で心を操った。日本人は、個人差はあれとても大切な〈思考の自由〉を妨げられて、いまに至る。
結果、海外では通用しないガラパゴス化した平和主義や、戦前を一面的に断罪する歴史観が醸成され、歪なメディアものさばった。規模や徹底度で世界に類例のない護憲運動も生まれた。国際社会のリベラル派の大勢は、無辜の人びとの人権や命を重視し、紛争地域への武力行使「人道介入」を容認する。それを断固拒否するわが国の自称リベラル派は、世界から完全に浮いている。
日本社会は知識層を中心として病的に左傾化したものの、多くの人にはその自覚がほとんどない。それが、マインド・コントロールの恐ろしさだ。
戦後日本の問題は複雑で多岐にわたるが、護憲運動をはじめとするさまざまな事象は、朝日新聞を抜きには語れない。戦前戦後をトータルにみてもっとも影響力のあるメディアだった。朝日は、GHQのマインド・コントロールを特に強く受け、同時に、日本人をマインド・コントロールする主体ともなった。そういう朝日を治せるのだろうか。
また、われわれ日本人へのマインド・コントロールを、どうすれば解けるのだろうか。
本書では、まず朝日に焦点を合わせ、そのメンタルな病理を探る。そこから戦後日本を見渡し、マインド・コントロールの実態を例示・分析することにより、人びとの呪縛を解くことを狙う。それが、〈思考の自由〉を取りもどす唯一の道となる。
そして、憲法改正がなぜ必要で、また、歴史的な必然なのか――精神分析などの観点から論じる。
本書は、われわれがマインド・コントロールを脱し、自分たちの手で日本を再生させるための“ハウツーもの”としての側面ももっている。
(文中、敬称略。肩書きはそれぞれの当時のもの)