RAB☆Kブログ

三陸産ホヤ哀歌(エレジー)


ホヤを初めて食べたのは、東京のいわゆる「山谷ドヤ街」にある居酒屋だった。カウンターでひとり飲んでいたら、となりのおじちゃんがホヤをお代わりし実に旨そうに食べている。

話しかけると、「三陸直送だから、旨いに決まってるよ。子どものころから食べてるから、これはまちがいない」と答えた。ぼくも即注文すると、衝撃の味だった。

おじちゃんは宮城県の出身で出稼ぎに来ていた。「もう一軒行きましょ。おごりますよ」と誘うと、「やめとく。あんたデカ(刑事)さんだろ? 力仕事してる手じゃないもんな」

そのころ山谷争議というのがあって、公安刑事が潜り込んでいると言われていた。ぼくは、この街を宿にして働く人たちの本音を個人的に取材しようとしたのだが、声をかけた端から警戒されて不首尾に終わった。

かなり酔ったあげく、この街では高級な素泊まり2000円の3畳和室に泊まった。翌朝、男たちが集められ建設現場へ出かける様子をみてから帰宅した。1985年6月のことだった。

ぼくはその前、1か月近くフィリピンで取材していた。各地のスラム街を訪れ、さまざまなレベルの貧困の現実を知り、スラム評論家になれそうだなと思うまでになった。東京へ帰り同僚の記者と話していると「山谷と比べてみたら。俺は行ったことはないけど」と言われた。

ドヤは「安宿」の意で「宿」を逆から読むことで「ドヤ」と言った。近年は労働者の高齢化から日雇い労働者の数が減少し、山谷は福祉の街、バックパッカーの宿泊地へ変わったそうだ。

当時も、山谷は東南アジアと比べればスラムでも何でもなく、出稼ぎ労働者などがたくさん集まっている街に過ぎなかった。ただ、そこで食べたホヤは強烈な印象をぼくに残した。いつのころからか、最後の晩餐が選べるとしたら、ホヤと純米大吟醸酒にしようと考えるようになった。

いま、三陸のホヤ養殖業者は廃業続出の恐れもあるという。WTO(世界貿易機関)上級委員会の4月11日の決定がパンチとなった。東電福島第一原発事故で韓国がずっと宮城など8県の水産物を全面禁輸していることを容認した。1審では解禁を求める日本の言い分が認められたのに、まさかの大逆転負けとなった。韓国では、久々に「国際的に」日本との争いに勝利し、お祭り騒ぎになったという。

他の多くの国でも禁輸がつづく。ホヤに限らず漁業関係者は解禁になると信じて待っていたのに、どん底に突き落とされた。

日本の一部メディアが放射能の危険をいたずらに煽ったのが一因ではないか。日本政府は「科学的に安全だ」とするものの、風評被害は深刻な事態をもたらしつづける。

出雲でホヤのことを熱く語っても、食べたことがない人がほとんどで、反応もないのがさみしい。


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