RAB☆Kブログ

アイデンティティーは玉ネギだ!


大坂なおみちゃんが、26日、テニスの全豪オープンでチェコのクビトバ選手を倒し優勝した。昨年9月の全米オープンに次ぎグランドスラム2連覇で、世界ランキング1位に躍り出た。メルボルンから生中継したNHKの女性解説者は「おなじ日本人として誇りに思います」と声を震わせていた。

おなじ思いで勝利のシーンをみていた日本人はたくさんいただろう。なおみちゃんの肌の色はぼくたちとはちがう。日本語もたどたどしい。でも、日本人の母を持ち、本人曰く「99%日本食で育った」彼女を誇らしく思う。すごいことをやってくれた。

なぜ、ぼくらは誇らしく思うのだろう。それは彼女の中に半分日本人の血が流れていて日本国籍を持つからにちがいない。そこには「日本人」というくくりがあり、ぼくらのアイデンティティーにつながるからだ。

北海道出身の母・環さんとハイチ出身の父フランソワさんとの間に大阪で生まれ、3歳で米国に移住した。日米二重国籍で、選手となってどちらかを選べた。フランソワさんは、無名の時から娘を支援しつづけた日本に恩義を感じ、なおみちゃんを日本で登録させたのだそうだ。

たとえば、大谷翔平選手がメジャーリーグで大活躍するときに感じるものとおなじだ。岩手県出身の青年が活躍しても、「日本人」としてのくくりでぼくらは誇りを感じる。錦織圭選手ともなるとなおさらだ。おなじ「島根県人」であり「松江市出身」であり、松江市民にとってはさらにくくりが増える。

アイデンティティーというのは、そんなものだろう。自己同一性などと訳してもピンとこないが、おなじ○○という心理が心を揺さぶるのだ。だが、そのくくりを一つずつはがしていって、中に何があるかと調べても、核のようなものは何もない。だから、アイデンティティーとは玉ネギのようなものだと思う。その一番外側の皮は日本人というくくりだ。

決して地球市民というようなものではない。そんなものはくくりにならない。

日本に生まれ育ち、何となく暮らしているとアイデンティティーなど意識しない。海外にいれば、いやというほどそれを感じる。ぼくたちは日本人であり、日本のことを語れなければ国際社会で生きていくのはむずかしい。

ある人は、アイデンティティー・クライシス(危機)におちいる。自分とは何か、アイデンティティーを見失うからだ。皮の積み重なりで中心は空虚でも、じつはぼくらは、アイデンティティーを意識し大切にしなければ健全な精神で生きていくことはできない。

世界1になったなおみちゃんは半分日本人であり、ぼくたちのアイデンティティーにもう一枚薄い皮をかぶせた。彼女の快挙を誇りに思えるという事実は、ぼくたちのアイデンティティーを「拡張」してくれたことを意味する。

優勝トロフィーを受け取るとき軽く少しおじぎをし、次に、正座してトロフィーと写真に収まった。その自然な動作に、日本人の血が表れていた。


コメントする


次のタグを使うことができます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>