RAB☆Kブログ

ある郷愁


ドイツ再統一後のベルリンに駐在しているとき、旧東ドイツの都市ワイマールへ出張した。取材が終わり、現場で知り合ったAP通信のドイツ人青年カメラマンが、自分の支局に招いてくれた。「ちょっと待ってて」と言って、ポケットマネーでお菓子を買ってきて一緒に食べた。旧東のドイツ語は訛りが強いが、ぼくが聞き取りやすいよう標準ドイツ語でしゃべってくれた。ぼくがベルリンへ帰る列車の時間まで、旧西と旧東のちがいの話などで盛り上がった。

青年は、余ったお菓子を「奥さんと子どもさんたちへ」とぼくにくれた。帰りの列車のなかで、しみじみ思った。こういう温かな人情は旧西では味わったことがないな、と。そのころ、バラ色だったはずのドイツ再統一の現実は、とくに旧東の人びとにとってきびしかった。西側の競争社会に放り込まれたからだ。

オスト(東)とノスタルギー(郷愁)を合わせた造語「オスタルギー」という言葉が流行った。旧東の人たちが抱く「かつての東ドイツのころが良かったな」との思いを表したものだ。

読売新聞の昨日20日の朝刊に、ベタ記事だが興味深い話が載っていた。ロシアのある世論調査によると、「ソ連崩壊を残念に思う」とした人が66%いて、2004年(68%)以来の高い水準だったという。こう答えた人は、1991年に崩壊したソ連時代を経験していない層でも増えていた。

その理由として「統一的な経済システムの破壊」が最も多く52%、「大国意識の喪失」(36%)が次いだそうだ。

言論の自由がなく、経済活動も国家によって統制され、国民が互いに監視していた息詰まる社会主義社会から、民主化され自由になった社会に変わって人びとは何を考えるか。そういう壮大な社会実験を、旧東ドイツにつづいて再びみせられている気がする。

フランス革命以来、いわゆる西側で絶対的な価値となった「自由」も、ある社会や状況によってはそうでもない、ということだろう。自由な社会は自然に競争もはげしく、それについていけない人は、自由を大きく制限されてでも平穏だった暮らしに憧れる。

いま欧米や日本などで強くなっている格差社会への反発にも共通する心情だ。では、社会主義がいいのかと言えば、それはそれで、まったくベターでもベストでもないことは20世紀に証明された。

そして、ふと思う。東京が最先端の資本主義社会だとすれば、いまぼくが暮らす出雲は、競争がゆるいなんとなく社会主義的な空気を醸し出している地域だ。


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