RAB☆Kブログ

邪馬台国論争の盲点を突く


 

魏志倭人伝にはこうあります。「(九州北部から)投馬国に至る水行二十日。・・・邪馬台国に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月」

この里程をめぐって、1910年から大論争がつづいてきました。邪馬台国は北部九州か、それとも畿内(近畿圏)かというものです。

奈良女子大が出雲大社近くの会館できのう開いたシンポジウムで、小路田泰直・副学長は、画期的な説を披露しました。これまで、プロ、アマふくめて何千、何万の人が論争に加わってきましたが、その「水行」つまり船で進んだのは瀬戸内海だと思い込んでいました。

副学長は、「古代でも交通が頻繁だった日本海を行ったと考えれば、すべて辻褄があう」と主張したのです。

「水行二十日」で着いた「投馬国」とは出雲の国であり、そこからさらに「水行十日」で丹後半島に至り、「陸行一月」で大和へ着いたとする解釈です。

副学長は、古代史ではなく日本近代史が専門で、門外漢だったから、論争が見逃していた盲点を突くことができたのでしょう。

「投馬国」はトウマコクまたはツマコクと読みます。シンポジウムでパネリストをしていた先生方は誰も指摘していませんでしたが、出雲はイズモと呼ばれる前にはイツモという発音だった、という論文を読んだことがあります。ツマがツモになる音韻変化はありうるのではないでしょうか。

シンポジウムは大盛況で、約300人が参加し立ち見の人もたくさんいました。奈良女子大が「余分に準備していた資料」はまったく足らず、住所を書いた人には後日郵送することにしたほどです。

古代出雲の注目点が、また増えました。

 


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