RAB☆Kブログ

45年前のあの日


 

45年前の昨日、何をしていたか鮮明に覚えている。

ぼくは高校3年で、第1志望の大学の試験が目前に迫っていた。しかし、世間は、左翼過激派「連合赤軍」の話でもちきりだった。

連合赤軍は、長野県軽井沢の「あさま山荘」に女性の人質を取って立て籠もった。

10日目になった2月28日、警察は突入作戦に踏み切った。大型クレーン車に吊った鉄球を、山荘の壁にぶつけてぶち抜いた。過激派はかなりの武器を持っており、機動隊員ふたりが銃撃されて亡くなった。

NHKはすべての番組をすっ飛ばし、軽井沢の現場から生中継した。ぼくは、勉強などまったくする気にならず、一日中、画面にかじりついていた。

結局、女性は無事で連合赤軍は鎮圧された。

事件が、60年安保闘争、70年安保闘争を引きずる左翼のなれの果てだろうということはわかったが、まだ、誰も明快な分析をできていなかった。

まもなく大学生になろうとする自分は、この事件をどう受けとめればいいかさっぱりわからなかった。

若者の運動が、なぜ、何の関係もない人質を取ってまで、警官隊と撃ち合わなければならないのか。しかも、後日わかったことだが、前年末に、過激派は山中のアジトで仲間内の凄惨なリンチ殺人までおこなっていた。

それから丸43年後、時代を精神分析する岸田秀先生にインタヴューし、あの事件は何だったのか聞く機会があった。

岸田先生は語った。「一連の連合赤軍事件も、基本的には反米運動だったと思う。戦後は『アメリカが全面的に正しい』という前提で社会が進んだから、内的自己による反米運動が非常に屈折した形で現れた。表向きは、アメリカと友好な関係にある日本の国家体制を崩すのが狙いだった。しかし反米を露骨には言えないものだから、ああいう形で表われた」

連合赤軍は、尊皇攘夷を叫んだ幕末の志士たちとメンタリティーではつながっていた部分があったのだろう。岸田先生が言う「内的自己」とは、燃えたぎる本音でもある。それがテロに発展するところが人間の怖ろしい一面だ。

戦後史のさまざまな出来事の意味づけを、ぼくは岸田流精神分析で学んだ。

 

*詳しくは、次作『GHQ洗脳(マインド・コントロール)と朝日イズムの終焉――心理学で呪縛を解く』(仮題)で。

 


コメントする


次のタグを使うことができます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>