集団ヒステリーの正月に
出雲フォト日記Ⅱ | 2021年1月2日
令和三年元旦は、獺祭(だっさい)のひと口ではじめた。この名酒の名前の由来を、ちびちびお屠蘇がわりにやりながら、ラベルを読んで知った。
〈かわうそ(獺)が捕らえた魚を岸にならべて、まるで祭をするようにみえるところから転じて、詩や文をつくる時、多くの参考資料等をひろげちらすことをさす〉
まさに、いまのぼくではないか。昨年来、まったくジャンルのちがう二つの本を書くべく、参考資料をちらして書いている。そのうち一冊は、三月上旬には出版されそうだ。
K余さんが作ってくれたエビや黒豆のお節料理をつまみながら、雌伏から雄飛の年にしする、と誓った。
純米大吟醸、精米歩合45%は切れがあり、やはり旨い。
元旦も未明から原稿を書いていたので、ふわーっと酔いがまわった。ひと眠りして、K余さんと出雲大社へ初詣に出かけた。
あまりの人出の少なさに驚かされる。学生時代、大雪の元日に参ったことがあるが、そのときよりうんと少ない。渋滞することもなく大駐車場にBちゃんを停め、勢溜までいったんもどって、祓社からきちんと参拝した。
いつものお正月なら長い列ができる出雲そば屋の前にも、人通りはほとんどない。元日に店員さんが店の外で呼び込みをしている光景をはじめてみた。
参拝客の少なさは、雪のせいというより、コロナ禍をマスゴミがさんざん煽ったせいだろう。管政権は風前の灯火のようだ。一か八か、指定感染症の2類から5類にしたらいいのではないか。インフルエンザ並みにすれば、医療崩壊の恐れもなくなる。
煽ってきたマスゴミがヒステリックに騒ぎ立てるだろう。国民を見殺しにするのか、と。経済をめちゃくちゃにして国民を殺しかねないのは自分たちだと、決して認めないだろう。
前から言ってきた。少なくともわが国にかぎっては、いまのコロナ禍騒ぎは集団ヒステリーだ。戦後4度目で、最悪のケースとなっている。のちに検証されてはじめて、みんなは「異様な時代だった」と認識するにちがいない。